looking for the part of light in the KOYA

日記的なやつ(幸せとかについて)

オカルト好きならよく観てるだろうカラパイアでこの記事を見た。
「幸せになる」ということは必ずしも良いことではないという考え方(ニュージーランド研究)
概要
・「幸福」を求めるのは、人間特有の欲望というよりも、文化が生み出した産物
・個人主義的幸福は悪であったり、幸福を回避することとで安心できるという考え方が非西欧では強い

僕は最近は幸福になりたいと考えることが増えた。
自己啓発書などでは、自分にとっての幸福をイメージすることがまず先決なので、幸福になろうとする事は前提条件だ。

でも、自分も5年くらい前には幸福になりたいなんて全然考えていなかった。
それは何故なんだろうか?

よく言われるのは、幸福でない状態をよしとするそれは「奴隷道徳」だということだ。

だがしかし、もし幸福になったら、それ以上のものを求めなくなるので、
進歩しなくなるんじゃないかという不安があるのはリアルだ。
というかもし僕が今の自分の状態に安穏として満足していたら、
この先はノーフューチャーだと思っている。
粉とか錠剤ではなくて、無意識書き換え系のやつで
「今すぐにハッピーになれる方法」というのがあるらしいが、
すくなくとも今すぐに幸福になる事は、不安しかもたらさないように思えて恐怖だ。

***
またちょっと違う事。
人間が考えられることは、人間という生物の限界を超えることはできないと思っている。
欲望を持つことに限界がある。
個人が望んでいるものは、他の誰かも望んでいるものだ。
だから、最高に望んでいるものを求めることは、他の人間にとっても意味のあることだ。
そこで求められるものは享楽ではなくて、
まだ想像の世界にしかない素晴らしいものを求めることだ。
この次元で言う幸福についてなら、非西欧の立場でも受け入れやすいように思える。

***
また、ちょと別のこと。
彼女なんか作れそうにないと思ってしまう。
自分にはその資格がないように思えてならない。
レンタル彼女を利用した時にも、おねえさんに、
「サクマさんはまだ一人でいたいみたいですね」と言われていた。

だけど、数年後のイメージがある。
それがあればいいんではないだろうか。
今はそれに向かって動けるだけの気力が湧けばいいんではないだろうか。

***
「現実をありのままに見る」という哲学的?な事を求めることは、
そんなのに耐えることはちょっとできない。
現実が無意味なのは自明である。
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Author:SKM
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