looking for the part of light in the KOYA

トータル・ライフ

滝本竜彦さんの現代瞑想ワークショップで行った、
「闇の迷宮を光で満たす瞑想」を録音ファイルで再度行った。
さすがに滝本竜彦先生はひきこもり経験者であるだけに、
このようなワークには問題意識が高いのか誘導するボイスにも愛を感じる。

そしてふたたび気付いた。
元気に過ごすためには、過去の自分も許して、愛する必要があるのだ。

思春期の終わりごろから蓄積していった歪みが、ある程度のものになった時に、
僕はそれ以上、そのままで生きていく事はできなくなった。
そこで僕は過去の自分を否定した。
オナ禁も、その頃に選択した行為のひとつだった。

たとえば自分が夢精すらしなくなるほど強烈に、
気違いじみたオナ禁を続けることができたのは、
自分が過去の状態に戻ったら、もう生きていけないのだ、という観念を伴ったためだ。
大げさにいえば「オナ禁をしないと死んでしまう」。それは強迫観念じみていた。
もちろんその最中はそんな真剣になんか思っていなかった。
オナニーしただで死ぬわけねーだろ馬鹿か?とは思っていた。
でも、基本的にはそーいう方向性の考えをしていたのだ。

そのため、僕のアイデンティティのようなものは、
二十代半ばから突如として無から出現した何ものかの姿をしていた。
そのイメージの過去は記録に黒マーカーを引かれた、正体不明の男だった。
そして未来の予定表にもなにも書かれておらず、
ただ呆然と視界数メートルほどの薄闇を漂うほかないのだった。

彼がどうして力強い存在になることはできないように思える。
生命力をとりもどすためにも、
トータルな人格の統合を行うことが、自分の本質に帰る道だ。
そのためには過去の自分も愛してあげないといけない。
毎日オナニーして学校をさぼって部屋で寝ていた自分も、
それはそれでそうなった事情があるわけで、そんな事は分かっているのだが、
本当に愛してあげてください。



巷では、自信をもつことが大切だという。
巷では、自己効力感や成功体験を持つことが大切だという。
しかしそのような言葉を聞けば、傲慢さをセットで連想するため拒否感がある。

僕は大切なのは、自分自身の根底に安心感を持つことだと思う。
そして願わくば、肉体が害されても精神は砕かれないという勇気を持つこと。

「実存は本質に先立つ」のならば、ひたすら行動を律して本質を醸造すべし。
でも、そんな本質を何故つくろう思うのか。
どうしてそんなことをしたいと思うのか。つーかなぜ動機が生まれるのか?

それは実存に先立つ本質であり、
もう、どうしようもなく、時間のなかに展開される以前の本質があることを
認めないわけにはいかない。
その本質のもとに、過去と現在と未来の自分を愛することしかできないのです。

これは内向的な人間には実感的によく理解できる事柄です。

また、一言で言うと、「ハイヤーセルフ」とつながるための
スピリチュアルの文脈で語られるようなお話にも興味があります。
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Author:SKM
妄想が世界の超内向的なアラサー。
中小企業勤務の底辺リーマン。

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