looking for the part of light in the KOYA

低気圧だとあたま痛い

今日は休みなので、お金払って女の子とデートするやつを使ってみました。
エッチなお店でプレイできそうな値段で数時間のデートをしてきたんです。
プラス飲食代とかも自分持ちです。

なのですが、やってきた子はえっ、と思う予想外な子でありました。
リアル大学生の子なんだけど、エネルギー低めで女子オーラもなく、
ぶっちゃけ言うと、ぱっとみ不思議ちゃん系あんま可愛くないです。

話してみると、ヒキり気味だった大学生の頃の自分の女バージョンかと思うような
ぼっち系女子。なので、趣味も合うし親近感は湧きました……。
すごくいい子ではありました。
エロい事したいとかはぜんぜん思いませんでした。

ただ、結構なお金を払っているんだから、もっと超絶かわいい子とデートしたかったよぉ・・・
とか思うわけですが、
逆に、そんな事で己の欲が満たされてはいけない、
つーかちょっと待て、お前「可愛い子とデートしたい」という欲望があるな?
じゃあちゃんとそれに見合う男になれや、と自分をモチベートするよい機会になった!
と考える事が生産的な思考法というものです。

なんか帰りに悲しくなって、この気分をどうにかするために
ちょっとピンサロ寄ってこうかと思いましたが、
今日の彼女の前で僕は年上の優しいお兄さん(おっさんか?)として振る舞ってたので、
なんとか頑張ってそのヅラを脱がないで家までたどり着きました。

金は痛かったけど、女性はもちろん、後輩とか年下の人を連れて歩いた事もないので、
そういった面でも大人面するいい練習だったかなぁ、とも思います。
あと、男一人では行きづらい所にいってきたんですが、
そこはすげー良かったので今日は良しとします。良しなんだよ!

そして僕は若干みじめではあるが、みっともない行動はしていない。

ファッキュー!色々がんばろう!!
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「僕には何もない」があるクオリア

まぁ、僕は詰んでいるわけですよ。
どうにもこうにも、できない状態。
王手を取られている。

目標がないという事。
社会的地位も能力も人間関係もなく、
人生に変化を与える方法を知らないという事、
恋人を得ようと望む事ができないという事。

自身が今と違う人物になる事のインセンティブを見つけられない、
彼女ができて一緒に過ごす事が楽しそうだと思えない、
むしろ苦痛かもしれない、気力体力が足りなそう、
そもそも僕は人に与えられるリソースを持ってない、
そして、究極的に目指すべき幸せな生活というものがない。

だから、低レベルな日常の恒常性を維持するだけ、と。

しかしながら、僕は別に将棋なんてやってない事に気付くべきなんです。
そういった別の視点こそが、僕が見つけるべき光のかけらなんです。




電車に乗ってるときにiPhoneをいじってますが、
LINEとかやってなくて、主に新聞とGunosyを見ています。
で、パラレルワールド化する森山未來とゾンビ映画 としての『苦役列車』
の記事が入ってきてて、ちょっと発見した事がありました。

①自分は「意識低い系」だったんだ。
②生存圏の住み分けはクオリアの相違が原因なのね
③オナ禁を続ける事はクオリアを変化させる

まず、リンクの先はどっかのブロガ―のエントリで、
俳優の森山未來が出演してる映画での、キャラの違いについて述べたものです。

・「モテキ」は、ほぼ童貞の恋愛経験なし派遣社員→サブカル系webメディアの薄給正社員の草食系男子(31)に、急に複数女性との交際<モテキ>がはじまり右往左往するお話。挿入音楽が秀逸。
・「苦役列車」は、中卒で日雇い労働をしている女との接触は風俗以外にない男(19)に、ある時友人ができ、女友達もできるのだが、自らそれをブチ壊さずにいられない、クソな人間性を描いたお話。

割と森山未來が好きで、特に「モテキ」「苦役列車」は非常に自分にシンクロするところがあって、とても面白く観ました。ドラマ版のモテキもhuluで全部みました。
(でもリアルタイムで話題になってた頃は、そんなターゲット層が明確すぎるほどマーケティングされた商業作品など絶対に見ない!と思っていたものです。)

しかしながらですね、腹を抱えてモテキを見て、「しにたいしにたいしにたい」といじける主人公がiPodでかける音楽のセンスに膝を打ち、自分に自身のない彼の気持ちとイタさにも共感するのですが、
僕は彼ほどの感情の豊かさがどう考えてもなく、恋愛するモチベーションの源泉が何なのか理解できないところがあります。
そして、やっぱり俺には恋愛なんかできねえ、と感じてしまうんです。

僕は、今髪型もモテキの森山未來みたいな感じだし、黒ぶちメガネかけはじめたし、
玄米とかインディーズ音楽好きだし、最近一眼レフカメラとかも買っちゃったりして、
ぱっと見そっち系かな?と思われる人を擬態しようとしていますが、
まぁ以前から感じてはいましたが、やはり僕の本質がそっちじゃない事を心の底から再確認しました。

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最近になって「意識低い系」という言葉が自分の周りだけで流行っている。意味としては「意識高い系」の逆で、意識が高いといわれる人々の奇妙な行動もできなければ、ヤンキーにもなりきれない無気力な人を指しているのであるが、それはそれで相手にすると困ってしまう事が多い。意識高い系の方がむしろヤンキー文化の延長であり、彼らの良いと思う事が類型的であるがために順を追って説明したり、事実提示によって比較的簡単に共感させたり屈服させることのできるプロトコルが存在する。しかし意識低い系に対してのそれは難しい。

 これはクオリアの違いということが考えられる。つまり「こうなったら楽しい」「これは困る」「それイイね!」といった意識が違いすぎており、それを自分の側に寄せるだけの倫理的義務も説得力もないし、こちらも相手の生き方がよいとは思わないから「HOW」の議論に辿り着くまでに疲れ果ててしまう。「WHAT」「WHY」については互いに「布教」の要素を伴っており、「仕事」「先生」「親友」「恋人」「家族」などのロールに対して互いに影響しあう事で精一杯である。故に「権限」「能力」「動機」のそれぞれの軸において不足しているためにお互いに棲み分けることが重要であるという結論となり、スクールカーストの「グループ間交流がほとんど行われなくなる現象」に近づいていきがちである。世の中には「宣教師」も多いのだけど、大抵は失敗する。



さて、根本的な欲についてはオナ禁でも変わる事はないと思われますが、
今思えば嗅覚、聴覚、味覚、色彩感覚、空腹感、ムラムラ感、清潔に対する意識、これらの内容が僕のガチオナ禁期の以前と以後とでは確かに変容していたと気付きました。これらのクオリアが変化したわけです。

クオリアが変わる事って、すごくね?

で、たとえば性格が変わったり、別の人のようになるって事は、考え方が変わる事じゃなくて、
クオリアが変わる事が要点なんだって分かりました。

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Author:SKM
妄想が世界の超内向的なアラサー。
中小企業勤務の底辺リーマン。

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