looking for the part of light in the KOYA

2016年賀おわった

2016年は、これまで僕が好きだった世界などが終わったんだなという事を感じる年でした。
また、彼女を作るという目標を掲げておりましたが、彼女が欲しいという欲望を保持することができなくなりましたので未達です。
僕は猫と生きる道を行きます。

2016年を振り返ってもっとも思い出すのはDeNA事件です。これは非常に象徴的でした。

コピペ文書でコンテンツを作成するサイトの害悪を非常に感じています。
今現在、インターネットで何かを検索したとき、表示される大部分がアフィリエイトサイトです。
これらのサイトは書かれている内容がオリジナルではないので非常につまらない内容になっています。
検索すれば似たような情報が出てくる=情報としての価値が薄いです。
自分で体験したり、考えたり、検証した内容ではないのでリアリティがなく薄っぺらいものです。

なによりも、その目的は情報や意見を示すことではなくアフィリエイトです。
アフィリエイトのために構成された文章なんて読んでいて楽しくありません。

インターネットで検索して出てくる情報がこんなものばかりになってしまうなんて、僕が大学生の頃からしたら信じられません。

僕が大学生の頃。僕は完璧にぼっちでした。ぼっちやコミュ障という言葉すらなかった時代です。
でも僕は寂しくはありませんでした。社交不安障害の症状が出てましたが、リア充になりたいとは思ってはいませんでした。
なぜならインターネットがあったからです。
インターネットは、友達がいなくても過去問が手に入り、リアルに社交しなくても2ちゃんねるで人の本心をのぞき見することができる魔法のツールでした。
そして、インターネットはオープンソースとフリーの思想によって作られた夢のカリフォルニアでした。
それは現実的な束縛から解放され、情報そのものに触れることのできるイデアの世界だったのです。
ネットがあればコミュ障の僕でも大丈夫、そう思わせてくれるものだったのです。

ところが、今のネットきたらそびえ立つクソの山です。
蔓延するのはアフィリエイトのゴミクズです。

ひところ昔の個人の日記ブログが流行した時代よりさらに悪いです。日記ブログは少なくとも実際に生きている人間の体験や考えが書かれており、オリジナルではありました。しかしアフィリエイトサイトはただのコピペなので情報価値はなく、オリジナルでもないので価値がありません。
さらに、あたかも客観的な情報であるかのようにデタラメを書いているので、便所の落書きを新聞広告に載せているようなものです。新聞を読んでいると思ったら落書きを読まされているという事態に耐えねばなりません。
ネット検索で役に立つ情報が見つかるなんて考えてたら情弱確定です。まじアフィカス死ねやって感じです。

DeNA事件は、僕にとってコミュ障の味方だったネットカルチャーの終焉を見せつけられる出来事でした。



2017年の展望

People In The Boxの逆光という曲を僕の個人的な新年の曲に認定しました。
2015年の曲だけど、僕がこのバンドを知ったのは2016年末でした。僕は今後この曲を聞く都度に2017年初を思い出します。

僕は基本的にポストロックやmath rockが好きなんですが、この手の細めでエモい声はどうしても日本だとバンプオブチキンが成功モデルとしてあり、そのまんまコピーのRADWINPSとか僕はどちらもちょっと無理なのですが、このPeople in the Boxはテクニカルな構成と容貌に少しゲスの極みっぽさがありつつも、女子度がゼロのため嫌悪感が湧くポイントがなく、歌詞についても若干セカイ系ではあるものの、本当にポストモダーンな世界観を示しており、とても好感度高く思います。

さて、何事も立ち位置で判断されがちな世相だと感じております。
だからこそ文脈から切り離された場所でも意味の本質を追求する姿勢を貫かなければならない、そのように思います。それは具体的には何のことなのか。

でも別に僕はそれを具体化しなければいけない責任なんか誰にも負っていないないから勝手にさせろという事です。
本当に嫌悪感が湧くものばかりです。
僕が嫌悪感を抱くものとは正反対のすばらしいものを僕が作り上げるか、僕がそのようになってやろうと、そのような気概を抱き続けたいものです。
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オルタナティブではないオルタナティブ

今現在、秋葉原のアーツ千代田3331で「文化庁メディア芸術祭20周年企画展―変える力」が開催されている。
開催は11/6までなので、時間がある人は行ってみたらいいと思う。
なんと入場料は無料。56作品の展示の他に映像作品の上映、漫画ライブラリ(図書館ぽい部屋で自由に漫画が読める)もある。

で、僕はそれを10月中旬に見ていたのだけど、そのなかの気に入ったものの一つがこの作品だった。

google earthのキャプチャ画像に人物をマッピングしてビデオにした映像作品。
橋本麦とノガミカツキという人らが監督した、group_inouというユニットのEYEという曲のMV。


高緯度地域のさわやかな地平からチマチマした街中まで、軽快に次々と進んでいく映像は単純に気持ちがいいし、力の抜けた日本語ラップもフラットさ、チープな電子音、すごくいい。
で、この歌っている人、最初は加瀬亮かと思った。

でも違って、group_inouではcpと名乗っていて、uri gagarnというバンドでは威文橋としてやっている。

このuri gagarnにここ最近はまっている。

こんな超オルタナティブな音楽が今年リリースされていたことに軽く驚きを感じている。
なんとなくこの感じならリリース日は2002年くらいが丁度いい。
でも2016.04.27にReleaseされていた。

さらに調べてみると、uri gagarnというのはメンバーは威文橋以外は変わっているが昔からあるらしく、2004年に1stアルバムを出していた。

うーん、12年前から曲調が変わってない・・・

でも、このバンドの曲は僕がもし音楽をやったらこんな感じになるんだろうな・・・って感じがする。
メンタリティーが9割以上僕の精神構造とマッチする。
そんな感じ。すごく好き。
いいもの見つけちゃった。

そう、だから、この威文橋という人を知って思った事は、自分の好きな感じのものは、ずっと好きでいていいんだな、という事。
そして、好きなものを新しいものとリンクさせることもできるという事。かな。

ああ、僕もなにかしなくては、とおもう。

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オナ禁による人間開発(マズローを殺せ)


マズローの欲求5段階説という有名なやつがある。
欲求には段階があって、下から「生理的欲求」、「安全欲求」、「社会的欲求(帰属欲求)」、「尊厳欲求」、「自己実現欲求」があるというやつ。また、マズローは後で6番目の「自己超越欲求」も追加している。
下にある欲求が満ちると上位の欲求を満たそうとするという。

これを初めて知った時、僕はこれに反感を持った。そしてまた現在も持っている。
僕は神経質だから「安全欲求」も十分に満たされないし、「社会的欲求(帰属欲求)」を得られる事もないだろうから、それ以上のものも得られない事になると思ったからだ。

しかし、オナ禁はこのピラミッドを粉々に粉砕する魔術だった。
オナ禁は自分の意思で生理的欲求を満たさない事だ。
長期のオナ禁をしていた時に何度も何度も自分に問いかけていた。
「一体なぜ、こんなことしているんだ?」
僕はその理由を考え続けた・・・

しかし、それでもオナ禁を続ける時、それはある種の「自己実現」だった。方向性も「自己超越欲求」へと向かっていた。(達成してはいないが)だから、僕は年収の低い派遣社員で友達も彼女もいなくても別によかった。

そして下位の欲求を満たす事をやめることを自分に強制することが、欲求の向かう方向性を捻じ曲げる効果があるという経験を、僕は得た。
なぜこんな効果があったのか。自分の人生の目的を、性欲がわくたびに考えなければならなかったからだと思う。
木の低い場所にぶら下がっている果実を取らないのは、自分にはやる事があるからだ、と自分を洗脳したのだ。


しかしデメリットは、性欲がなくなってくるとこの効果を得られないことだった。
性欲がわけば人生の目的を考えたのに、その瞬間がどんどんなくなってしまうからだった。

そんな時には、どうすればいいのか。
もう、チャレンジしていくしかない。
若いときに頭に浮かんだやりたいことを、本当にリアルに一つずつ潰していくしかない。
どうでもよかった事は忘れてるから。
とりあえず、僕は来年初頭に、今年出来なかったフルマラソンをやる。


でもただ一つ言えること。それは、
性欲があるのにオナ禁をしないのなら、それは本当にもったいないという事。
貧乏で孤独で才能もない若者なら、オナ禁をやるしかない。
それだけでマズローを殺せる。

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祈るしかない。

24歳くらいからオナ禁をやり始めて、もう30をこえた僕にとってオナ禁は容易くなっていた。
容易すぎて無意味になっていた。

無意味なオナ禁になってしまった理由は、僕にはオナ禁よりも重要な何かがなかったからだ。
とりあえずオナ禁を続けていることで、せめてもの自己肯定を図ることができた気になっていたのかもしれない。
自己処罰的な気持ちになっていたのかもしれない。
そこで培われたのは、自己の欲望の否定の姿勢だけだったのかもしれない。
・・・などとここ数年は感じていた。

でも、他にも培えたものはあったと思う。
先日amazon unlimitedで「脳が冴える15の習慣 ―記憶・集中・思考力を高める」 (生活人新書)といううすっぺらい新書を読み、
そこに書いてあった事に目がとまった。
それは「脳を鍛えるためには、日常的に自分を繰り返し律する訓練が必要だ」という事だ。
たとえば自分の仕事だけをしていればいいという姿勢ではなく、家事をしたり掃除したりといった日常の雑事に取り組むことで、面倒な事でもとなしていくことで、意思力が鍛えられるという事だった。(もちろん、同時に効率化する方法も考える)

日常生活のなかで意志力を要する事に取り組むこと、それはちょっと気を抜けばムラムラとしてエロい妄想をしてしまったり、エロ動画を見たくなってしまう心を制するオナ禁と通じる事だった。むしろ、オナ禁はそんな日常の雑事なんかよりずっと意志力を使う取り組みだった。僕はそんな取り組みを通じて、意志力を鍛えられたのではなかっただろうか。
・・・少なくとも、最初の数年は。


・・・でも、僕は間違えた。僕が陥った過ちは、ただ禁ずるだけだったからだ。
禁じるだけではなくて、何かに転じなければいけなかった。
だから、ただ欲望を押しつぶして、生命力を減らしていくだけだった。
意志力をもって、何かをやらなければならなかったのだった。
別に僕は、今となってはオナ禁をしなければいけない理由なんてない。
それを捧げてまで成し遂げたいこともない。別にオナ禁なんて捧げるというほどの価値もないことだが。

ただ祈るしかない。純粋さの中心に対して祈るほかない。

正直、今年中に彼女を作るという目標を立てていたけど、意欲まんまんとは到底言えない。
今度引っ越すときにはペット可物件にして猫と暮らしたい。そんな事を考えているほうがかなりワクワクする。

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安部マリオを演出する風土と荒野との距離感

リオオリンピックの閉会式での東京オリンピックのプレゼンテーションショーを見て、すごく洗練されていて格好いいと思った。
5回くらいそのビデオを繰り返してみてしまった。

だけど徐々に色々と気になる部分が出てきた。その発端は、まずはイルミナティシンボルの目玉だった。
rio1.png
rio2.png
片目のやつね。
one-eye.png

これはイルミナティなのだろうか。よくわからない。でも、少なくとも疑惑の電通ではあるようだ。電通とはいったい何なのか、僕にはわからない。
Mason-7.gif

東京オリンピックのショーで使われたネタは、ビデオ部分ではマリオやキャプテン翼といったマンガネタではあったけど、後半のダンスなどの演出で使われていたのは中田ヤスタカ、青森大学体操部、椎名林檎などであった。
これらがウケるクラスタとは、左からそれぞれ「イルミナティシンボル刷り込みまくりポップ」、「日本すごいでネットでバズるネタ」、「ネトウヨご用達シンガー/パフォーマー」である。(別にそれぞれを貶めているわけではなく、それらの層にウケると言っているだけである)

僕などはひねくれているので、あまりにも・・・と感じる。「そこらへんをつついときゃお前らは満足なんだろ?」って意図なんだろうな、と。

僕が2ちゃんねるばかりやっていた2000年代初頭と今とはまったく異なり、ネットでウケるという事は現実世界でも注目を集めることとほぼ重なってきている。でも、それは言い換えれば簡単に操作可能という事でもある。
かつて、テレビはバカ製造機という言葉があったけど、今はネットこそがバカ製造機だという事に注意しなければな、とつくづく思う。

クールな目線の俺かっこいいと言いたいわけではない。
ネットサーフィンが好きで楽しすぎるからこそ、こういった人を誘導しようとするのが仕事の人たちの意図通りには動きたくないと思っているだけである。

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SKM

Author:SKM
妄想が世界の超内向的なアラサー。
中小企業勤務の底辺リーマン。

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